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投書に思うこと

滋賀県で幼児2人が犠牲になった事件以来、新聞などで外国人の母親からの投書を目にする様になった。
書かれている内容はどれも「他人事とは思えない」というもので、日本の幼稚園がとても閉鎖的である…という主旨が多かった。
                                                                             母親は家庭を守って働かずにいるべき…という昔とは違い、両親共に仕事を持ち、核家族が多い現代ではどこの市町村でも待機児童が出ており、年々保育園が増えてもまだまだ足りないというのが現状。
反面、山形においては定員を割る幼稚園も多く、午後7時くらいまで保育時間を延長させて、保育園並みの体制をつくるなど園児獲得のための様々な努力が行われている。
                                                                               私も共稼ぎをしている都合上、2人の子供共に0歳の時より保育園に通園させた。
子供を保育園に入れなければいけない親は、誰もが時間に追われており、親同士の会話も登園やお迎えのわずかな時間の中の挨拶程度。
朝は通勤のために急がねばならないし、夕方は帰宅してすぐに夕食の準備にかからなければ間に合わないからだ。
子供は起きている時間のほどんを保育園で過ごすため、毎日の成長も保育園の先生の方がよく見てくださっていたりする。
忙しい合間をぬって行われる保護者の懇談会も、園での様子を少しでも聞くために私も楽しみにし、母親だけではなく時には父親さえ出席するこの日は、たくさんの保護者が集まり、時間を過ぎても熱心に先生の話に耳を傾けた。
そんな風だから、先生にも全幅の信頼を寄せ、年配の先生などは育児の相談に日々乗って下さった。
                                                                               そんな生活から、我が家は諸事情で長男が年長になる時に幼稚園に転園する事になった。
幼稚園は共稼ぎの家庭もあるが、ほとんど母親は働いていない家庭が多い。
日中でも時間がある人が多い訳だ。
だから、朝も幼稚園に送ってくるとそのまましばらく立ち話をしたり、帰りは幼稚園で子供を遊ばせながら、親同士も交流をもったりする。
私は人付き合いが決して苦手な方ではないのだが、それでも最初は保育園との違いにカルチャーショックを受けた。
保育園のように母親同士、僅かな時間で情報を交換したり悩みを打ち明けたりする光景とは違い、投書にもかかれているあからさまな仲間外れや嫌がらせが往々にして行われていたからだ。
とかく、途中入園や外国人などはその対象になっているように見受けられた。
親はその状況を何とかしたくとも、子供に悪い影響があってはならないと我慢するし、言いたい事も飲み込んでしまう。
日頃、白は白、黒は黒とはっきり言う事がポリシーの私でさえ、途中入園の我が子のために言いたい事もずいぶん我慢した。
あきらかに陰口を言ってそうな人には勤めて話し掛け、自分の中で壁を作らないように努力もした。
卒園して最近分かった事だが、表面上は全くトラブルのなかった私でさえ、通園時間がちょっと早いとか、スーパーで電話をしていた…などという大した事のない理由で話のネタになっていたらしい。
経験してみて投書する母親の気持ちもよく分かる。
日本人特有…とは思いたくないが、他の幼稚園でもよくある話らしい。
日本では15組に1組の割合で国際結婚だそうだ。
それでなくとも、途中入園や外国人は、他から来たというだけで不安は大きい。
不安な気持ちを少しでも受け止め、親身になってあげれる人間が1人でもいたならば、幼稚園ももっと変わるはずだと思う。
昨年の年末、娘の幼稚園のクラスに関西より途中入園の子供が入った。
休日その一家に会ったのだが、無口と思っていたその子の母親がとにかくよくしゃべる。
聞けば、バスで登園させているため、他の子供の母親との接触が無く、子供以外には誰とも話をしない日もあり、毎日、大阪の母親や友人に電話をして寂しさを紛らわしているという。
翌日、私は自分の子供をとおしてメールのアドレスや幼稚園の様子を書いた手紙を渡した。
メールはその日より届くようになった。

[2006-03-02 15:30]

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