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森 瑤子について

森 瑤子という作家の小説を愛しています。
出会いは20歳の頃。親友が「これ、読んでみて」と差し出した1冊の文庫本でした。
その頃は、私の人生において岐路に立たされた時期。卒業、就職、初めての仕事での失敗・・。そんな日々を送る中で、森 瑤子に出会い、大きな衝撃を受けたのです。

本好きの人間には、だれでも一人は「偏愛する」小説家が居ると思いますが、私はあの時期に彼女の本に出会った事で、確かに衝撃を受け、現在までその衝撃とともに読み続けているのです。
森瑤子が描くのは(書くというより描く)、「男と女のこと」。自分でも、それしか書けないのだ、とエッセーでも言っていますが、こんなにも男と女の、全て奥の奥まで入り込む事ができる人はいるのだろうか、読み進む内に胸が痛く締め上げられるような文章表現はあるのだろうかと思います。

小説やエッセーの解説は、プロや他の森瑤子中毒読者の個人HPにお任せするとして(熱くなりすぎて読む側は疲労するでしょうから)、「彼女の事」を一部だけ書きたいと思います。

彼女が始めて小説を書いたのは、35歳くらい。それまでは、イギリス人のご主人と3人の娘の世話に追われる専業主婦でした。が、日々の生活に鬱々としたものを感じ、これで良いのか、と焦燥感に捉われていた時期に、版画家の池田満寿夫が、芥川賞を受賞したのに衝撃を受け、「版画家に小説が書けて、私に書けないはずがない」と思い、憑かれたように書いたのが、処女作「情事」でした。その小説が文学賞に入選して、彼女の華麗なる小説家人生がスタートしたのです。私は、その「情事」を親友に借りて、小娘20歳が頭を殴られるように衝撃を受けた、というわけです。
そもそも森 瑤子は東京芸大でバイオリンを専攻して、素敵なイギリス人のご主人が居て、料理上手・週末は別荘でパーティ、友人には、建築家や音楽家などがたくさん居て、傍から見れば普通の主婦といっても、都会の真ん中でお洒落に人生を送る華やかな女性だったのです。
その彼女が焦燥感にかられて居ても立ってもいられなくなって、というのはいったいどういう事なのでしょうか。
自分の置かれている状況に満足する事なく、常に渇望している人生。女性として、共感もできるけれど、なぜそんなに?いいじゃないですか、とも思ったり。

しかし、常に満足する事のない彼女だからこそ、何年も読者の心を離さない存在で有り得るのでしょう。
友人達も何故か、森 瑤子に捕らえられていて、今でも「森 瑤子のあの小説にこんな言葉があったけどさ」と会話の中にしばしば出てきます。

小説は、絵のない世界ですが、彼女の文章により、その光景はくっきりとした形でしっかりとした動画で私の頭に浮かんで来るのです。

彼女の友人達や、愛した物を彼女の目を通して好きになったり、と、自分とはまず程遠い世界が垣間見れるのも、偏愛した結果でしょう。
橋本シャーン氏(挿絵画家)、鈴木エドワード氏(建築家)、ディオリッシモ、スコーン、冷やしたジン・・・。そして、与論島。

きっと、私はこの小説家であり、颯爽とした格好の良い大人の女性に、これからもずっと影響を受けながら生きていくのでしょう。
少しばかりの焦燥感を持ちながら・・・。

深い秋の日、今は亡き、彼女の小説をまた開きたくなりました。

[2006-10-20 17:01]

コメント

森瑤子大好きです。それに派生した作家が、出て欲しいですね。
全部読むつもりで探してますが、ジゴロが見つからない。
神田神保町で、「一種、ハッピーエンド」と言う作品を、購入しましたが、これは、中公文庫で、全くノーマークだったので、この本は、ちょっと特別な日に読み始めようとしています。
ジゴロというと、最近も出版されていますが、かなりテイストが異なっていて、気が進みませんでした。
ジゴロに関しては、近藤正臣さん(俳優)が、主演したがっていたと言うことで、どういう感じの人かと、観てみましたが、きっと、森瑤子さんが、好きだった当初のコンドウマサオミじゃなかったんでしょうね・・

投稿者 眠奏 : 2006年12月18日 21:07

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