生きる
年頭にあたり…と言いたいところだが、昨年の末に書きそびれた事があったので、書いておきたいと思う。
昨年の12月、父の兄(伯父)が闘病の末亡くなった。
病名は癌。
(私の父方、父と兄弟含めた親戚はほぼ100%癌死である。)
父の兄弟にあっては、父の上の兄に続いて私の父が亡くなり3年後の今回父のすぐ上の兄(伯父)が亡くなった。
東京より以南の親戚がほとんどの私は、今回も伯父の自宅がある愛媛県の松山へ飛ぶ事になったのだが、肺と骨まで転移し呼吸と骨の痛みに苦しみ続けた伯父の死は、想像を絶する壮絶死であったと思う。
同じ癌でも私の父と伯父とでは大きな違いがある。
父に、私達家族は余命の宣告をしなかった。
余命を知らされなかった父は思うようにならない自分の体にイライラしながらも、明日に希望を繋いでいた…と思う。
年齢の割には黒々として多かった髪の毛が抗癌剤の副作用で抜け落ち、別人のようになったが、他の社員があまりの変わりように驚くからと、いずれ会社に復帰する日の為にかつらを作った。
毎日いくつかの新聞に目をとおし、スクラップとメモを最後の日まで続けた。
伯父は、数年の間に亡くなった兄弟の闘病生活を見ていたからか、自分の余命を意識していたようだ。
遺言書を作り、葬儀の段取りや予算までみていた。
葬儀の最後に伯父の希望で式場内に流された、越路吹雪の「ラストダンスは私に」の最後“私を忘れないで…”というフレーズは今でも耳を離れない。
最後になった入院の際も、「もうこの家には戻っては来れないと思うから…」と、“その時”の連絡先の一覧や、連絡の順序までメモに残していったという。
伯父の絶望や悲しみ苦しみは計り知れない。
余命の宣告は、死ぬまでの準備期間を知らせる為…という。
亡くなっていく人は自らの人生を振り返り、整理をし、家族と向き合ってやりのこして後悔する事がないように残りの時間を使う。
本当に伯父は後悔が無かったか?
意識はとうに無くなり呼吸は止まっても、心臓だけは何時間も動き続けた。
まだ「死にたくない」とでも言うように…。
一方、今年難病と診断された友人がいる。
私よりずいぶん年下の彼女は息子の同級生の母親だ。
年齢よりもしっかりとして、常にまわりに気配りする様子はクラスでも目を引き、私もすぐ親しくなった。
昨年の春頃から彼女の様子が微妙に変わってきた。
疲れやすくなり、伏せる事が多くなった。
顔面の麻痺がひどくなり、手に力が入らない…と嘆く。
物を飲み込むのも思うようにいかず、それでなくても細い体なのに夏を過ぎる頃には10㌔以上も痩せた。
病院でのいくどかの検査の末に宣告された病名は、いまだに解明されずこれといって治療法や特効薬もない筋肉の難病だったのである。
医療関係の友人にも聞いたが、体中の筋肉が固まり、いずれは自己呼吸さえも出来なくなるという。
彼女を良く知る友人は「若いから進行も速いし…長くは生きられないと思う…」と呟いた。
複雑な家庭環境の彼女には頼れる身内も無く、「学校の緊急時の連絡先になってくれる?」と私に言った。
会う度目に見えて症状は悪くなっており、最近は電話での会話も聞きとりにくく目からは意思とは関係なく涙が流れる。
1人娘を思い、絶望に泣き崩れる事も多かった。
私には慰めるすべも無い。
1月1日、彼女からメールがあった。
「毎日絶望ばかりを思って泣いていてもしょうがないものね。とにかく今出来る事をして毎日明るく過ごすよ、つきあってね!」
昨年末、若い人の自殺が続いた。
ただでさえ生きていく事は本当に大変だ。
でも、自分の意思に反して命の期限を宣告される人もいる。
私は今年も彼女に会う度“生きる”意味や命の重み考えさせられる事だろう。
命の重みを改めて感じた2006年から2007年の年越しになった。
[2007-01-05 11:39]