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唯一の恩師

 誰にでも忘れられない先生が1人位はいるだろう。
先日、みのもんた司会の“学校”をテーマにした番組の中で、今話題の東国原 宮崎県知事が、忘れられない恩師について語っていた。
お笑いを夢見ていた中学時代。当時、アホの坂田と呼ばれたお笑い芸人に弟子入りしたくて家出をした。                 
 当然、補導されて自宅に戻される事となる訳だが、翌日登校した学校で、日頃穏やかな担任の先生が“どれだけみんな心配しよったか!”と初めて平手打ちしたという。                        
 ところが、放課後呼ばれた職員室で先生はこう誉めた。
 “心配したクラスのみんなの手前、殴らなければ示しがつかなかった。でも、自分の夢を実現させようと思う気持ちは偉かったぞ。”
 東国原県知事…お笑い芸人、そのまんま東の原点はここにあった訳だ。
 話は変わるが、この春、息子が入学より2年間お世話になった担任の先生が転任になった。
 息子の入学と共に他の市町村より転任してきた先生の指導方針は独特で、「子供は誉めて育てる」というのを身をもって教えて下さったのも先生だった。        
 期末に配布される通信簿の親の欄にも、“子供さんが不安がるような事や、ここはダメだ等という内容は絶対に書かないでください。その学期に頑張った事で誉めてあげる事だけを書いてください。一生残るものです。将来お子さんが振り返って見たときに自信に繋がるような内容にしてください。”と毎度繰り返した。
 だからといって甘い訳ではなく、いけない事は絶対にダメ!と子供達が分かるまで叱り、愛情をもって子供達に接する姿はクラスの保護者ばかりか、他の学年の先生方の中でも有名になっていたようである。
 お陰で、保護者の結束も固くなり、授業参観後の懇談会や学校への奉仕作業などでも他クラスより断然に出席者が多かった。
 このご時世。懇談会に出席する保護者が3、4人というクラスも多かったが、息子のクラスは多数の出席者のために懇談会が終わらず、外が真っ暗になっても先生と親の交流の時間が終わらないという日もあったりした。
 夏休み中でも生徒が体調を崩して何日も寝込んでいると聞くと、“心配だから顔見に来てみた”と自転車で駆けつける。                   
 子供達の下校時も、息子のクラスだけは、先生が毎日1人1人に声をかけ校庭を出るまで見送り続ける。
 我が家の息子の長所と短所をズバリ指摘して心配して下さったのも先生だった。
いつの間にか先生は他の学年の子供達からも人気者になった。
 
 (先生の転任が決まる前)3年生へ進級の際はクラス替えになるので、終業式前日にクラスのお別れ会が行われたのだが、子供達も先生と別れがたくクラス中涙で終われなかった…という。
先生の移動が発表になった土曜日の朝。早朝から我が家へもメールや電話が相次いだ。
5日後の離任式に親も参加しようというものだった。
子供達はすっかり春休みに入っていたので、連絡網の電話で先生への送り方を相談した。
当日、たくさんの親が集まり、寄せ書きや子供達に持たせる花の準備をした。
離任式の会場の体育館から昇降口まで全生徒が花道を作る。             
他の先生方と一緒に、泣き腫らした先生がクラスの前まで来ると、クラスの子供達1人1人が花を渡した。
昇降口に先回りして子供達が再び集まり、6年生を送る時にうたい踊ったV6のハニービートを全員で唄う。“フレーフレー6年生”の掛け声は、誰からともなく“フレーフレー先生!”に変わった。
“いつもの様に、最後は私がみんなを1人1人見送らせて下さい。”
先生は言ったが、初めて…そして最後、先生がクラス全員に見送られて門を出て行った。
離任式の直前、先生は子供達にこう言ったそうである。
「新しいクラスになったら、新しいクラスの先生を好きになりなさい。先生の事は早く忘れなさい。大丈夫、先生はみんなの事を絶対に忘れないから…」

私の人生。振り返っても心に残る先生には今まで出会えなかった。           
 学校の先生との別れがこんなに辛いものだなんて、この年になって初めて知った。
今回、息子だけでなく私自身も1番思い出に残る先生との別れを経験した思いがしている。
 きっと、私の中で唯一の恩師になるであろう。

[2007-04-09 11:24]

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