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2008年03月28日

卒園

街中で在校生から贈られた花束を手に歩く制服姿の卒業生が見られるこの季節。
我が家でも下の娘が幼稚園を卒園した。
この春から小学生である。
山形では長男と同じように0歳から保育園に行き始めた娘は当時からすっかり
集団生活に慣れており、この地に来た時、長男だけが幼稚園に通う姿を見て
にどうして自分は行けないのかと何度も私に聞いた。
寂しそうに日々を過ごす姿を見て幼稚園の3年保育に入れたのだが、
周りの園児が毎朝泣きながら親の手から離れて教室に入るのに、
我が娘だけはニコニコと“ママ行ってきます!”と楽しそうに通園した。

自由保育を推奨する幼稚園だったので、特定の事以外は毎日全員同じ作業を
決まった時間にするのではなく、自分の考えた遊び等を自由にしたいだけ
出来る毎日。
見た目のおっとりとは違い、幼稚園での時間のほとんどの時間を園庭で過ごす事
が多かったようだ。
(その為、絵などはちっとも上達しなかった!)

そんな娘もいよいよ卒園である。
小柄な娘に選んだMサイズの制服は今ではすっかり小さくなり、おしりが見える
程成長した。
めいいっぱいスカートの裾を出して間に合わせた卒園式。
日頃は他のお友達よりずっと幼く見える娘も、この日ばかりは大人びて見えた。
心配していた大学のホールでの式。
広いステージ上で明るいライトを浴びた中での長い式中も、少しもソワソワする事なく
きゅっと口を結び、おじぎも卒園証書の受け取りも驚くほど完璧!
いつの間にこんなに成長したのかとつくづく感心させられた。
親の知らない所で子供はちゃんと成長しているものなのだ。
娘達と一緒に卒業?する事になった担任の先生とのお別れは涙じゃなく笑顔で!
これ娘流?いえいえ、いつもの娘だったらきっと泣いていたかも知れないのだが、
そこはやっぱり子供。
我が娘にとっては、幼稚園のさよならより小学校の新しい生活への希望の方が強いのだ。
「あと何日でランドセルで小学校に行けるの?」と指折り数えて入学式を心待ちにしている。

毎朝何度も声をかけなければ起きれなかったのに、入学を前に自分で起きられるようになった娘。
先生に手を引かれながら、幼稚園からの道のりを楽しそうにお友達と歩いて帰ってくる姿も
もう見る事は出来ない。
娘とともに私も幼稚園からの卒園である。

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2008年03月25日

花粉と水分

人間の体ってほとんどが水分ですよね。(何%か忘れた)
それを体で実感する時期の真っ只中。そう、花粉に悩む一人です。

3月に入って間もなく、花がムズムズするなぁと思いながらもそのままに。
すると最近、くしゃみが連続20回勃発した時点で「来たな」と、目に見えない敵に身構えたのも束の間・・・。悲しくないのに目がシバシバして、ボロボロと涙がとめどなく流れ、それに引っ張られるように鼻水が。許されるものならば、両方の鼻にティッシュを突っ込んで仕事をしたいと願うくらいのひどさです。
全く、どれだけ私の体から水分がムダに出れば気が済むのか?と半ば呆れてしまいます。

以前はこんなにひどくはなかったのになぁ・・とぼやいていたら、それを聞いていた弊社社長が一言、「年を重ねるうちにひどくなるという事か」ですって?!単に年取ったな、とおっしゃりたいのはわかりますけど、「そうではありません」。花粉と体内の表面張力の関係など、最近では周知の事。ここははっきりしておかないと!

さて、春らしく、日々気温が上昇するにつれ私の症状が悪化し、このままだと仕事にならない!という危機感まで感じて、いつもの耳鼻科医院に駆け込みました。
その日は大げさではなく、今まで生きてきた中で一番の花粉症の症状。
病院へ駆け込む直前の私ときたら、例えば「オトコにひどい振られ方をして、何日も号泣した惨めなオンナ」という表現がぴったりの様相。
このままでは心まですさんでしまう!とばかりに文字通り駆け込んだわけでした。
そこで飲み薬と目薬・点鼻薬を処方してもらい、そのお陰で何とか普段の75%くらいまで復活しました。

弊社でも花粉症が悪化した同僚たちがゴロゴロといます。皆、涙ながらに仕事をしていますが、負けずに何とか乗り切りたいものです。

さて、今回のひどい花粉症で改めてわかった事があります。
あまりに体内から貴重な水分が排出されると「老ける」という事。
それも加速度的に。本当に体感。実感。そして痛感。
この事は花粉の季節が過ぎても、決して「若返る事はない」でしょうから、何らかの対策を講じねば!たっぷりの水分補給+ヒアルロン酸やコラーゲンやコエンザイムQ10などのサプリをしっかり摂る+十分な睡眠。
いずれにしても、花粉症により、ものすごく体内的にも金銭的にも(ティッシュやマスクなど消耗品が多いし!)イタイのです。
よーし見てろ!来年のこのシーズン前には、事前の対策もバッチリにして一気に私を老いへと追い詰める花粉に「打ち勝って」みせようではありませんか。

投稿者 creat : 17:59 | コメント (0)

2008年03月21日

一年生といえば

新入生…小学校1年生と言えば、小さい体にピカピカのランドセル!
という訳で、我が家のチビもこの春1年生である。
年々ランドセルの購入の時期も早まっており、娘の学年でも昨年の10月位
に購入しているお宅もたくさんあった。
私が子供の頃と違い、カラーを選択出来る今は洋服やヘアスタイルの様に
流行りの色が出てくる。
今年はブルー(それも空色!)だ。
娘の周辺でもブルーが流行りで、我が家でも当初はずっと「ランドセルはブルー!」
だった。
紺色や青ならまだしも、空色となると親はすぐには「そうね」とは言えない。
まして、ケチで体裁を気にする私にとっては空色は絶対にあり得ない!
最初の1年こそ、1年生お決まりの(交通安全協会から配布される)黄色のカバー
をつけるが、カバーの要らなくなる2年生からはきっと汚れ放題。(私の予想)
いくら丁寧に使った所で、6年生になる頃にはヨレヨレで薄汚れ、空色を選んだ
事をつくづく後悔するに決まっている。

折も折り、ついこの間「今日ランドセルで氷の上を滑って来たー!!」と元気に帰ってきた
息子に「ナニでナニの上を滑ったって?!」と思わず聞き返し…息子の「青いランドセル!」
という希望を紺色で納得させて良かった!!と思ったばかりなのだ。

今回のランドセル選びも、娘と色の折り合いをつけるところから始まったのだが、
柔軟性のある娘は最後には「ピンク」で納得した。
ピンク…とひと口に言っても、メーカーで全然色が違う。
私の希望はローズピンクという色で、一般的なショッキングピンクよりも少し
くすんだ上品な色。
ショッキングピンクの人気は根強いが、6年生まで使用する事を考えてこの色に決めた。
息子の時と同様、私の実家の母が買ってくれるという有難い話だったので、春休みに
一緒に買いに行く事にしたが、人気の良いものは次々に売り切れになっているという
話を聞いた母が、慌てて私の妹と仙台に買いに走ってくれた。
色以外の希望は2つあって、1つは本革ではなくてよいので軽量のもの。
本革は本革で高級感があり、長年使ううちに革がくたっとなって味が出てくる…というのは
よく分るが、それは大人が使用するバックだったらの話。
(これは価値観の違いなので、あくまでも私の考えです)
子供に本革の良さが分かる訳ないし、まして女の子だったら、いつまでも奇麗で傷のない
ランドセルの方が良いと思うはず。
それに我が家の娘は小ぶりなので、本革のランドセルに教科書を入れて歩くのは重すぎる。
少しでも軽い方が良い。…これ親こころ。
それともう1つはDカンと呼ばれるフックが肩の下のところに付いているもの。
息子の時は付いているものが出ていなかったので、防犯ベルを皆ランドセルの側面に付けて
登校しているのだが、この位置だといざという時に子供の手で防犯ベルまでは手が届かない。
宝の持ち腐れになってしまう。
我が家では首からかけるストラップにベルをつけ、息子を登校させた。
肩の下の位置に防犯ベルが付いていれば、1年生でもすぐ防犯ベルを鳴らすことが出来る。
女の子で変質者が多く出没する地域なので、Dカン付きは絶対!だった。
ローズピンクにDカン、軽量、この3つの希望に当てはまるランドセルを、母と妹はあちこち探して
歩いてくれ、プレゼントされたランドセルは100パーセント願いを叶えるものだった。
特に妹が数あるピンクの中から選んでくれたその色は、私が見てきた中でもピカ1で、
上品でいて可愛い、他ではあまり見ないピンクだった。

さて、卒園間近になって、最近ランドセルの色の話になった。
時代だな~と思ったのは、本当に個性でランドセルの色を選んでいること。
娘のお友達は…本当にみんな空色を買っていた!
他には茶色に緑に横型に…。
定番の?赤色を選んだお友達にはまだお目にかかっていない。
今は赤いランドセルの方が新鮮でお洒落なのかも?!
黒と赤のランドセルの新入生…それはひと昔前の話。
今年の入学式は色とりどりのランドセルの花が咲くことだろう。
今から楽しみである。

投稿者 creat : 17:11 | コメント (0)

2008年03月16日

それぞれの成長

2005年の夏のある日、私たちは出会いました。その時私は妊娠7ヶ月。産婦人科医院で「母親学級」が催され、私は会社を休んで張り切って参加しました。
そこに集まったのは、12、3人のほぼ同時期に出産予定のプレママたち。
初産がほとんどの為、みんな若干緊張気味です。自己紹介に始まり、助産師さんの色々なお話に真剣に聞き入り、最後は妊婦体操で終了。その時は言葉を交わす事がなかったのですが、大分お腹も膨らんだ9ヶ月くらいの第2回目。私たちは挨拶を交わして別れました。

いよいよ臨月。
私は帝王切開による出産が決定しており、指示通り出産日の前日に病院へ入院しました。事前に予約していた個室は、私を含んで全室満室。助産師さんとの打合せをして、出産前の夕食をおいしく頂き、「私ったら意外に落ち着いてる~」と私よりも緊張している主人を横目に食欲旺盛。その後廊下に出てブラブラしていると、生まれたての赤ちゃんを抱いた個室の新米ママが。挨拶をすると、そのママが「もしかして、母親学級一緒でしたよね!」と声をかけてきました。よく思い出すと、私の隣に座っていたママ。
ハキハキしている人なのですぐ思い出したのです。するとママはもう1つの個室を指差し「この部屋の○○さんもきっと一緒だったハズ」と言うのです。すると間もなく、その個室からスラリとしたママが哺乳瓶を持って現れました。「○○さん、覚えてる?」とそのママに声を掛け、私たち3人は「初会話にして再会」、という面白い場面を迎えました。
しばしその偶然の再会に盛り上がり、廊下でお互いの近況(改めて自己紹介)報告をし合ったのですが、声を掛けてくれたママAもママBも無事に出産済。明日にその日を迎える私に色々アドバイスをくれたのです。スイカのようなお腹をなでながら、「心強いなぁ」と感謝したのを今でも覚えています。
さて遂に出産の時。点滴をつけたまま廊下を歩く私を二人とも「頑張れーっ」と声援してくれ、何とか無事に息子を産むことができました。
その後、お互いの部屋を行き来して情報交換をして更に仲良くなり、退院の時はメールアドレスを交換してそれぞれの新生活に戻ったのでした。
その後も、新生児を抱えての不安や出来事などをお互いに報告しながら、是非子どもと一緒に再会しよう!と励まし合っていたのです。
時は流れて、生後半年を過ぎた頃、(私は仕事復帰・二人は専業主婦)「いよいよ会おうよ」と、子連れランチを決行しました。
半年ぶりに見る子ども達は3人とも丸々太って首もしっかり座り、まるで別モノ?
私たちママは、まだ子育てに悪戦苦闘しながらも、自分たちの生活のリズムをしっかりつかんでいる様子。途中泣き喚く子どもたちをあやしながら、授乳をしたり写真を撮ったりしながら、楽しい時間を過ごしました。
それから約1年半・・・・私が休みの平日を中心に月1回ペースで「会合」を開き、とても良い関係を保っています。子ども達も、何となくだけど「仲間だな」と認識しているようですし。
先日も3月の会合を開き、ママA宅に集合。ママBは初夏に二人目を出産予定、我が家は息子が保育園入園予定、と、今までとまた違う環境になる私たち。これからは頻繁に会う事ができないかもしれませんが、お互いの子ども達の手が離れた時にこそ、また新たな友情がスタートする、と思っています。年代も家庭環境もそれぞれ違う私たちだけど、あの日、母親学級で出会った偶然を大事に、これからもお付き合いをしていきたいものです。

ママBが、手をつないで公園に向かう我が子たちを見ながら、「みんな成長しましたよね。」と感慨深げに一言。
本当に。考えてみれば胎児の時からのオトモダチ。
これからもどうぞ宜しくね!と小さいけれどしっかりした子ども達の足音を聞きながら、心の中でつぶやいたのでした。

投稿者 creat : 15:06 | コメント (2)

2008年03月10日

おふくろの味

誰にでも懐かしい“おふくろの味”というのがあるものだ。
私にとってのおふくろの味は“たまごおかゆ”。
母が聞いたら「なにそれーっ、あんなに色んな物を食べさせたのに、
どうしてたまごおかゆなの?」と目を三角にしそうだ。
母の面子に係るのであえて言っておくが、私の母は料理上手である。
長く専業主婦だったのだが、私が中学生になった頃に友人の中華料理店を
手伝うようになり、食卓には手作りの餃子やチャーハン・中華飯・ラーメン
等の庶民的なものから、酢豚・海老チリ・八宝菜などの一品料理まで
本格的な中華料理が並んだ。
その後、バスで40分もかかるフランス料理店に通って学び、中華料理に
替わってステーキソースからサラダに至るまで、一般家庭ではなかなか味わう事
の出来ない料理が並ぶようになった。
手際がよく、もともと料理上手だった母は自信をつけて“向かうところ敵なし!”
となり、ひと頃には頼まれて料理教室も開く程…。
結婚して離れて暮らす今はなかなか自慢の料理を口にする機会はないが、
その気になれば今でも腕をふるう事だろう。
プロ並の腕を持つ母だから美味しいものといったら数限りなくあるのだが、“おふくろの味”
はやはりこれなのだ。

留守がちな父に代わって父親代わりもしていた母は、いつも厳しく、小さい頃から
“自分達で出来る事は自分達で”というのを徹底していた。
滅多に手を貸してくれる事は無く、幼いころから何でもさせられた記憶がある。
よく「友達のような親子関係」というのを聞くが、我が家には絶対当てはまらなかった。
本当に厳しく強い母だった。
そんな母も、私達が病気で具合の悪い時は優しく、いつもたまごおかゆを作ってくれた。
白がゆに卵を溶き、ほんのり塩味のシンプルなものだったが、本当に美味しかった。
私にとっては、たまごおかゆ=優しい母だったのかも知れない。

昨年、久しぶりに帰省した際、実家に子供達を残して私だけ出掛けた事があった。
その時に母が子供達にたまごおかゆを作ってくれたらしい。
こちらに戻ってしばらくした頃、「昼食に何が食べたい?」と子供達に聞いたところ、
「ちゃま(私の母)が作ってくれた、たまごおかゆが食べたい」と口を揃えていう。
今度は私が子供達の為に作ったたまごおかゆ。
これまた大好評で、何日も続けて作る事となり、以降、小腹がすいた時や体調の悪い時の
リクエスト№1となっている。
娘もまたいつか、自分の子供に作る日がくるのだろうか?!

今日は我が母の誕生日。
先日、突然倒れて救急車で運ばれ本当に心配した。
お陰さまで今は退院し自宅療養しているが、いつまでも厳しく強く、尊敬すべき母で
あって欲しいと心から思う。
“もうおめでとうじゃないわよ~”と言っていたが、
あらためて「誕生日おめでとう」。

投稿者 creat : 12:39 | コメント (0)

2008年03月07日

旅のトモに・・・なれない!

先日の久しぶりの出張で、かなりの強行軍(早朝の出発→午後10時到着)をこれまた久しぶりに実行。宿泊したいところですが、乳幼児を抱える身としてはそれもまだ無理な話。
必然的に強行軍になるわけです。
今回は一人での出張という事もあり、行き帰りの車中では思う存分「本を読もう!!」と実はとても楽しみにしていました。
小学生の時から結構な活字中毒にもかかわらず、家では新聞も読む余裕がないので、せめて移動の車中は、窓の外の景色など見なくても、ゆーっくり本の行間と新幹線の心地よい振動に身をゆだねて行こう、とこの日程が決まってからずっと目論んでいたのです。

さて、当日。バッグの中には何ヶ月も途中になっていた推理小説と、会社で使用するビジネス書(かっこいい!?)を入れて、座席へ。
席に着いてしばらくは、見慣れた街の様子をボーッと目で追いながら日常から少しずつ脱皮していく自分を感じていくうちに、ウトウト・・・。
「早起きだったし、うーん、この揺れが気持ちいい・・」とフワフワした気分のまましばらくじっとしていると、何だか本格的に寝てしまいそう・・。
でも、本来の目的をまだ達成していないので何とか睡魔を追いやり、文庫本を開きます。
私は、周囲がどんなに騒がしくても読書には集中できる幸せなタイプ。
途中乗車してきた後の座席のカップルが朝からイチャイチャしているけど、ま、集中集中。
アッという間に小説の中身に没頭して、ハッと気づくと相当進んでいる様子。
何だかあまりに早く読み終わりそうで、もったいない気がしてきました。そこでいったん本を閉じて、ビジネス書を開き・・・。これは自分への課題。
・・・と本にばかり触れていたら、幼なじみが朝メールをよこし、昨年購入した高層マンションが新幹線から見えるのでチェックしてね!というのを忘れていて、もう通り過ぎた後のようでした。

そんな3時間弱を過ごして、東京に着き本当の目的である仕事をこなし、さて帰路。
事件はその新幹線で起きた!
さすがに疲労感でいっぱいになった私は、読書の前に少し眠ろうと思っていたのです。
すると、前の座席の団体さんと席を交換してあげていた50代と思われる女性が、私の隣へ。
『今帰りだよ』と一応主人にメールなどを打っていた私へ、その女性は(以下、おばさまと呼ばせて頂きます)、「夕飯食べた?」といきなり聞いてきました。それがあまりに自然だったので、とっさに「はい、大丈夫です」と答えてしまった私。するとそのおばさまは、その答えを聞いたにも関わらず、「これ食べて~」と自分が持っていたお寿司を有無を言わさず分けてくれたのです。「あ、ありがとうございます」とその勢いに押され、すぐ口の中に。確かにおいしいのですが・・・。するとその間「これはね、○○の駅で・・・」とそれを購入したいきさつをずっと話すおばさま。「はぁ、そうですか」などと曖昧に返事をする私。普段だったら、もっと合わせられたかもしれません。でも、私はかなり疲労していたのです!そこで、少しそのオーラを出してみたのですが、おばさまは気づかない様子。
「ご馳走様でした。」と挨拶する私に、「みかんもどうぞ。これは・・・」とまたそのいきさつを。それはとても甘いみかんだったのですが、何だか気分が重くなってきました。ここで色々合わせればいいのでしょうが、とてもそんな気分になれなくなって、本を開いて集中しているフリをしているところへ、更なる攻撃!「ちょっと、これ見て。押し付けでごめんね~。」と自分が撮ってきた景色のデジカメを前へ差し出されました。そして次々画像を見せて説明。景色は確かにきれいなんですけど・・・。

その後はさすがにもう勘弁して!オーラを最大にしてみたところ、それを最後におばさまも諦めたようでした。
きっとこの方は、自分の経験した事、見た事を少しでも共感して欲しかったのだろうと思います。私だって、出会いの一歩がこんな事から始まれば、素敵な事だと思います。が!その時はダメ。証拠に一気に疲労が重なり気分さえ悪くなってきました。

ごめんなさい、私はきっと「旅の友」にはなれない人です。きっとおばさまも「感じ悪かった」と思ったかもしれません。
でも、その人の状態を少しはみてとって欲しいなぁ。
私は、そのおばさまが、素敵な思い出の中から、「私」を追い出していてくれる事を今ひそかに祈っているのです。

投稿者 creat : 18:36 | コメント (0)